『苦海浄土』を読んだ感想。

『苦海浄土』を読んだ感想。 読書
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加害者と被害者という対立構造だけでは割り切れない混沌さ

『苦海浄土』が水俣病の話だということは聞いていたけど、これほどまでに何も知らなかったんだと思い知らされた。読み始めて少しして、そんな風に感じた。小学校の社会なんかで四大公害病として聞いていたし、わかったつもりになっていたけど、実際何も知らなかったんだなぁ、と。

まず、水俣市の地理的位置を知らなかった。熊本の南端で鹿児島に隣接していたことも、文庫に付属していた地図で知った。ある事象に対して「レッテル」を貼って、ザックリした印象を結び付けてわかったつもりになっていることって多い。ある程度効率的に生きていくためには「わかったつもりになる」って必要な事なんだろうけど、自分のことながら「なんだかなぁ」という気もした。

学校で習ったときは「有害な工業排水を垂れ流した悪としての日窒と、被害者としての住民」というわかりやすい対立構造で説明された気がする。でも、日窒は戦前の財閥の一角を成すほどの大企業で、少なからず水俣市の発展に寄与したという側面もある。九州新幹線に新水俣駅があるのも、日窒があるからという理由も含まれているだろうし。

自分の住む水俣市に日本を代表する日本窒素肥料という会社がある誇らしい気持ち、家族に水俣病患者が出ても「水俣市から日窒が無くなったら発展の邪魔になってしまう」と隠そうとする気持ち、水俣病の原因を究明すべく利害のしがらみを抜きにして真摯に取り組む大学の医者先生の気持ち、会社が無くなってしまっては困るという日窒の社員とその家族の気持ち、補償金を出して問題を早く収めたいと考える日窒の幹部の気持ち。

それぞれの立場のそれぞれの気持ちが重層的に絡み合っていて、何をもって「解決」とするかが難しい問題だと感じた。

水俣病患者一人一人をミクロ的視点でフォーカスすると悲惨でしかないし、二度と同じようなことが起こってほしくないと思う。水俣病という問題をマクロ的に見ると、別のものが見えたりもした。「急激な環境の変化は弱い立場にシワ寄せがいく」ということと、「情報伝達の不均衡は時に悲劇を導く」ということ。

 

急激な環境の変化は弱い立場にシワ寄せがいく

水俣病と聞くと、水俣市全域に蔓延したような印象を受けてしまいがちだけど、実際は漁業を生業にしていたエリアで重点的に発病している。『富国強兵』というスローガンが真面目に叫ばれ、経済発展・国力増強が最重要課題のように見なされていた時代。国の勢いのままに行き過ぎた産業化の歪みみたいなものが局所的に噴出した。その具体的かつ凄惨な事例が水俣病だと言えそう。

人道的に見ると水俣病なんて殺人行為に近い事件だし、絶対に許してはいけないと感情的に思える。一方で、サイコパス的に見ると、急激な変化は淘汰や痛みを伴って当たり前。全体の利益のためにある程度の犠牲はやむを得ないという考え方もできる。危険な考えだけど、時代や状況によってはそちらの方向に向いてしまうことも有り得る。

日本の大企業で進んでいる「大規模リストラ」にしても、「給料ばかり高くなってしまって、あまり役に立たなくなった45歳以上を対象に」という基準で行われてたりしてる模様。一つの時代の変化だし、企業が健全になるための淘汰だからしょうがない。年齢という建前の基準はあっても、優秀な人や会社に利益をもたらしてくれる人は企業側が手放さないし。本来は「転職先を見つけるのが難しい、会社に守ってもらわなきゃいけない弱い立場の人」から首切りの対象になっている。

今の日本ではシワ寄せの度合いにもよるけど、その度合いが「命まで奪わない」であれば受け入れられるのかな。

 

情報伝達の不均衡は時に悲劇を導く

完全に「たられば」の話なんだけど、日本窒素の技術者は「水銀たっぷりの工業廃水をこのまま垂れ流したらどうなるか?」について明確にわかっていたと思う。経営陣は、予想されるリスクは見なかったことにして、事業を推進していく。で、水俣病が起こる。ただ、日本窒素の技術者や社員は家族などに「水俣湾で獲れた魚介類は口にするな」と伝えていたと推測できる。

日本窒素の社員や家族に水俣病になったという事例が、少なくとも本書からは見受けられなかったから。まさか日本窒素の社員は全員が「宗教的な理由で魚を口にすることができなかった」なんてことはなさそうだし。

本来であれば、海の変化や魚の異常に真っ先に気づく漁業関係者が水俣病の一番の被害者になってしまった。そこに情報伝達の不均衡。会社勤め(日本窒素勤務)と漁民の間にほとんど行き来がなかったのだろうなぁと。魚を獲って生計を立てている人からすると「おらが海」で獲れた魚がおかしいわけがない、と信じたい気持ちもあったのかもしれない。それでも、「とにかく絶対に口にするな!」と全力で真剣に止めてくれる人がいたら、状況は少し変わっていたかもしれない。

 

石牟礼道子が教えてくれた「想像力の欠如の危険性」

石牟礼道子さんが亡くなったのをきっかけにして読んだ「苦海浄土」。水俣病のことを詳しく知れたのは良かったし、それ以上に考えさせられるテーマがたくさんあった。中でも一番気を付けなきゃいけないなぁと思ったのは「想像力の欠如の危険性」。

個人が誰でも、簡単に、匿名で情報発信ができるようになった。便利な反面、無責任で、不快にさせるだけのものも発信し放題。まぁ、何を発信しても不備はあるだろうし、思わぬところで誰かを傷つけてしまうことになっている可能性もゼロじゃない。発信してる人間も、それを受信する人間も完璧ではないから。

それでも、自分の発信するものは「可能な限り毒気の無いものにしたい」と思った。用法容量を守って使えば、毒も美味しかったりするけどね。

 

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

『苦海浄土』を読んだ感想。

 

文庫: 416ページ
出版社: 講談社; 新装版 (2004/7/15)
言語: 日本語
ISBN-10: 4062748150
ISBN-13: 978-4062748155
発売日: 2004/7/15

 

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